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中華街小故事

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横浜開港150年企画

1859年7月1日。日本が外国に向けて開港した日、日本の近代史がスタートし、中華街誕生への時計も動き出しました。来る開港150年に向け、中華街に残る開港の足跡を訪ねて、歴史ある横浜と中華街の秘密に迫ります。

その11 同じ場所でずっと町を見守る「関帝廟」

140番地に約150年間鎮座する商売の神様
開港間もない居留地に据えられた関羽様

中華街でひときわ目を引くきらびやかな建物が“関帝廟(かんていびょう)”です。関帝廟は世界中のチャイナタウンにあります。祀られているのは三国志で有名な関羽(かんう)。そろばんを発明したともいわれ、商売の神様として信仰される関羽は、異国の地で商売をする華僑たちの心の拠り所です。

横浜中華街の関帝廟は、山下町140番地、かつての居留地140番地にあります。現在の関帝廟は4代目。開港直後に祠が置かれて以来、約150年間かわらずこの場所から町を見守り続けてきました。

4代目の関帝廟は1990年に完成。中国の工匠職人が海外で手がけた建築物の最高峰とも名高い見事な廟です。

初代関帝廟の誕生

そのはじまりには、諸説ありますが、147年前の1862年(文久2年)に木造の関羽像が置かれたささやかな祠が開かれたという説が有力です。1862年は、現在の中華街一帯、旧横浜新田の埋め立てが完了した年です。横浜が開港し、海岸沿いから順に各国商館が建ち並び、はやくも土地が足りなくなった横浜で準備された新居留地に、いちはやく華僑たちは拠点を築き始めたのです。1871年には本格的な関帝廟が建立され、初代関帝廟が誕生します。

1871年の初代関帝廟の内部。掲げられた「同善堂」とは、関帝廟の堂号ともいわれますが、単なる建物の名称ではなく当時の華僑たちの自治組織の名称でもあります。同善堂は横浜中華街の礎を築いた組織です。

改築された関帝廟はまるで城郭のよう

2年後の1873年(明治6年)には、関帝廟の隣に中華会館も設立され、140番地は横浜華僑の活動の中心的役割を増していきます。ちなみに、もうひとつの拠点だった135番地(現在の関帝廟通り沿い「山下町公園」の場所)は、この頃、劇場兼料理屋の『会芳楼(かいほうろう)』で賑わっていました。そして、建立から15年を迎えた1886年(明治19年)、関帝廟は敷地を拡張。1891年(明治24年)には大改築が行われます。関羽のご神体を香港から新たに迎え、廟内部は豪華な彫刻を施し、建物全体をレンガと石造りの高い塀で囲みました。まるで城郭のような関帝廟が完成します。

1910年頃の大改装後の関帝廟。堅牢なレンガ造りの塀が特徴的です。

改築25周年の“関帝誕”は大盛り上がり!

1886年の大改築から25周年を迎えた1910年(明治43年)、大規模な“関帝誕”が営まれました。関帝誕とは関羽の誕生祭で、現在でも毎年旧暦6月24日(7~8月)に営まれる中華街最大の祭事です。盛大に執り行われた1910年の関帝誕は、当時大きな話題となり、これを記念して横浜の絵はがき屋トンボヤからは絵はがきも発行されたほど。龍舞や獅子舞を中心に絢爛豪華な行列が練り歩きました。

1910年7月の関帝誕の行列。爆竹の轟音とともに銅鑼や太鼓の音が響き渡り、白檀の香りが漂うなかを行列が進みました。

大震災と空襲で2度の壊滅…

その後、改築した初代関帝廟は1923年の関東大震災により、全壊してしまいます。2年後の1925年に再建を果たしますが、第2代関帝廟は1945年の大空襲で罹災…。度重なる焼失を受けても、華僑にとって関帝廟は必要不可欠な存在。終戦直後の物資のないなか進められた3代目関帝廟の建設には、横浜だけでなく東京、神戸、大阪華僑たちの浄財が集められ、1946年(昭和46年)には、第3代関帝廟の完成を迎えました。

1910年7月の関帝誕の行列。爆竹の轟音とともに銅鑼や太鼓の音が響き渡り、白檀の香りが漂うなかを行列が進みました。

情熱と誇り、技術の粋がつまった第4代関帝廟

しかし、多くの華僑の協力のもと築かれた第3代関帝廟は、1986年(昭和61年)の元旦、原因不明の出火により焼失してしまいます。幸いにも、ご神体である関聖帝君(関羽像)など諸神明像は無事でした。 そして、1988年(昭和63年)、3度目の再建がはじまります。新廟は日本の関帝信仰の中心となるべきものにしようと、大規模な建立計画が考案され、中国から工匠を招き伝統建築工芸の粋を駆使して建造されました。工期は2年以上、使われた金箔は3.5キロにもおよんだといいます。

こうして、1990年(平成2年)、現在の第4代関帝廟が完成したのです。

数々の苦難を乗り越え再建をくり返した関帝廟は、横浜中華街のシンボルであり誇りです。中華街を訪れたらぜひお参りしてみてください。

取材協力:横浜開港資料館
参考資料:横浜開港資料館『開港から震災まで 横浜中華街』・『横浜開港資料館紀要 第26号』、西川武臣・伊藤泉美『開国日本と横浜中華街』
※画像は横浜開港資料館より許可を受けて掲載しております。画像の無断使用・転載はおやめください。

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