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WITH MY CHINA TOWN

「ザ・ゴールデン・カップス」や「ゴダイゴ」のキーボーディストとして知られるミッキー吉野さん。現在も映画音楽の制作や多彩なミュージシャンとのセッションなど、幅広い音楽活動を展開しています。今回お話を伺ったのは、アマチュア時代から馴染みの店という広東料理店「同發」。横浜中華街の思い出やこれまでの歩みについて語っていただきました。

中学生の頃からバンドに入り、ナイトクラブなどで活動

ーミッキーさんは、横浜生まれの横浜育ち。現在も横浜中華街発展会の蔵方さんと交流があるなど、昔から横浜中華街にゆかりの深いミュージシャンという印象があります。

ミッキー吉野:私は1951年の生まれですから、子どものときから数えると、かれこれ60年くらいは横浜中華街に来ていると思います。昔の横浜は深夜営業のナイトクラブや外人バーなどがいっぱいあって、東京からもたくさんの人が遊びに来たり、ものすごく盛り上がっていましたね。

ーミッキーさんは、何歳くらいの頃から音楽活動を始めたのですか?

ミッキー吉野:私は3歳からピアノを習っていまして、バンドに入ったのは中2くらいのとき。その頃はナイトクラブに必ずバンドが入る時代ですから、いろんなところで演奏していました。本当は未成年だから駄目なんですけどね。当時は、今と違って社会がゆるかったので(笑)。ハワイアンやカントリー&ウェスタンのバンドに呼ばれることもあったりして、学校に行くよりも楽しかったです。

ー当時のことで、何か印象に残っていることはありますか?

ミッキー吉野:その頃から「同發」では、食事をしながら楽しめる珍しい「ノコギリ演奏 (※1)」のライブもあり、すごく楽しかった思い出しかありません。昔の中華街は夜中でもやっていましたから、仕事が終わってからバンドのメンバーで食べに行ったりすることもしょっちゅうでした。あと、私をゴールデンカップスに誘ってくれたエディ藩の家に呼ばれて、ご飯をいただいたことがあるんです。エディは山下町出身の華人ですから、彼のお母さんがつくってくれたのは、中華風の寄せ鍋とお刺身でした。このお刺身に付いてきたのが、ピーナッツを刻んだ薬味のタレ。初めて食べた味だったので、すごくおいしくてインパクトがあったのをおぼえています。

※1:ノコギリ演奏は楽器「ミュージカル・ソー」での演奏のこと。「ミュージカル・ソー」の奏者は椅子に腰かけて「ノコギリ」のハンドル部分を両膝ではさみ右手もしくは左手で台形をした鉄板部分の先端をつまみ、鉄板をS字カーブを描くよう曲げながらヴァイオリン等の弓を使って演奏する。

ザ・ゴールデン・カップスのメンバー

「ザ・ゴールデン・カップス」を経てアメリカに音楽留学

ーそして1968年、キーボーディストとして「ザ・ゴールデン・カップス」に加入。ちょうど大ヒットシングルの「長い髪の少女」が発売された後ぐらいですね。

ミッキー吉野:当時はまだ高校生でしたが、最初の仕事がいきなりテレビだったり、ラッキーだったと思います(笑)。ちなみにカップスは、本牧から出てきて、横浜をベースに活動していたバンド。リーダーのデイブ平尾の実家が新山下で、そこでリハーサルをすることも多かったですし、メンバーのケネス伊藤の奥さんの家族が「夜来香」というスナックをやっていたりと、その頃も何かにつけて中華街に通っていました。

ーしかし1971年、ミッキーさんはアメリカ東部のバークリー音楽大学に留学してしまいます。なぜ、そのタイミングで日本を離れようと思ったのですか。

ミッキー吉野:カップスでの活動は、自分にとって横浜時代の集大成ともいうべきものでした。しかし当時はグループサウンズの絶頂期で、アイドル的なバンドも多く、本当に音楽を好きな人があまりいなかったんです。そのことがカルチャーショックだったのもありますし、日野皓正さんや渡辺貞夫さんなどジャズミュージシャンとセッションする機会も増えていて、本気で音楽を学びたいと思ったんです。

バークリー音楽大学の創設者のバーク氏とミッキー吉野氏

ーアメリカでは、どんなことを学ばれたのですか。

ミッキー吉野:ジャズとクラシック、それにアレンジや作曲などですね。2年目からは向こうでも仕事を始めたので、一時はこのまま残ろうかと考えたこともありました。ただ、「東京をバックグラウンドにした、インターナショナルなグループをつくりたい」という思いもあって、あるとき「ゴダイゴ」というバンド名がまったく偶然にひらめいた。そんなこともあって、日本に戻ってこようと決心したんです。

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Profile

ミッキー吉野 (みっきーよしの)

キーボーディスト・アレンジャー・ソングライター。
1951年12月13日 神奈川県横浜市出身。
68年、グループ・サウンズの「ザ・ゴールデン・カップス」に加入。そのプレイは天才キーボーディストと注目される。カップス脱退後71年6月に渡米、9月にボストンのバークリー音楽大学に留学。 卒業後帰国して「ミッキー吉野グループ」を結成する。 76年にゴダイゴ結成、数々のヒットを飛ばし、アレンジャーとしても高く評価される。85年のゴダイゴ活動停止後も音楽学校創設、スタジオ活動、映画音楽等で広く活躍。2004年の「スウィング・ガールズ」のサントラでは岸本ひろしと共に日本アカデミー賞の最優秀音楽賞を受賞した。 2003年にザ・ゴールデン・カップスが再始動、2006年にはゴダイゴも活動を再開、ヒダノ修一、鳴瀬喜博、八木のぶおとのEnTRANSや日野賢二・小浜マサ・松尾明とのセッション等、ロック・ジャズ・ポップス等ジャンルに捉われず幅広く活躍している。

ミッキー吉野 Official Website
https://www.mickieyoshino.com/

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