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WITH MY CHINA TOWN
1989年に演劇集団「幕末塾」の一員としてデビュー以来、NHK朝の連続テレビ小説『ええにょぼ』を始め、多数のドラマや映画に出演されている俳優の榊原利彦さん。現在は、劇団「THE REDFACE」を主宰し、横浜中華街のそばに、劇団の拠点を構えています。プロデュース・出演・演出の三役をこなす榊原さんに、中華街にまつわるエピソードや、演劇についてChinaTown80 Hallでお話を伺いました。
親子二代、横浜中華街にご縁あり
ー榊原さんは横浜市のご出身で、主宰されている劇団THE REDFACEは、中華街にもほど近い場所に拠点を置かれていますね。
榊原:はい。生まれ育ったのは横浜市の北部です。地方に移住していた時期もあったんですけど、数年前に横浜に戻って来ました。主宰する劇団は、中華街のそばに活動拠点を構えています。横浜って人のつながりがあるから、魅力的なんです。お店で食事をしている時「○○さん、ご存じですか?」と誰かに聞かれると、自分の知り合いだったり。何より、絆の強い友人がたくさんいることが、こちらに戻ってきた大きな理由の一つです。
ー横浜中華街にまつわる思い出をお聞かせください。
榊原:父親が会社を経営していたんですが、夏になると、会社の暑気払いを同發別館で開催していました。子供の頃、自分も一緒に参加していたんです。中華街は、ハレの日に来る特別な場所でした。実は自分の両親は、華正樓本店で結婚披露宴を挙げたんです。両親にとっても、中華街は大切な思い出の地ですね。
ー街にご縁があるんですね。
榊原:そうですね。劇団で初めてオペラの演出を手掛けた作品「Carmen Operacomic」は、横浜開港記念会館で公演したんです。この会場も、中華街の近くなので、縁を感じますね。公演後は、お客さんと一緒に、大珍楼でコース料理を味わいながら、総勢120名で楽しい時間を過ごしました!それ以来、頻繁にお店に通っています。海鮮フカヒレスープと、海老の揚げ物が大好物です。横浜に拠点を移した今は、日常生活の中で、街を楽しんでいます。安記や謝甜記貮号店で朝粥を食べて、花椒の効いた麻婆豆腐を求めて重慶飯店新館へ行って、夜はBAR NORGEで過ごしたり。
劇団「THE REDFACE」の旗揚げ
ーTHE REDFACEを旗揚げされた経緯をお聞かせください。
榊原:デビュー当時からお世話になったプロダクションを飛び出してしまったことも、劇団を始めたキッカケの一つです。テレビや映画に、たくさん出演させてもらったし、年に数カ月働けば、一年は食べていけるくらい収入があったけど……その間、遊んでるでしょ。次の仕事を求めるために、プロデューサーと夜遅くまで飲み、夕方まで寝てしまう生活が続いたんです。心がどんどん荒んじゃって。これじゃ良くないなあって思っていたら、ウチの(脚本家でもあるパートナーの榊原玉記さん)が「脚本書いて、何かやろうよ」って言い出したんです。
ー玉記さんからの提案を聞いて、どう思われましたか?
榊原:彼女は脚本を書いた経験もないので、驚きました。「そんなのできるわけがない。制作会社に喧嘩売ってるようなもの!」と言っていたら、彼女が突然、脚本を書き出したんです。読んでみたら、なかなか面白くて。「こういう感じで書いた方がいいよ」とアドバイスをしているうちに、バーっと仕上げたんです。それから2人で創作するようになりました。これはイケるなと思って、いろいろな人に声を掛けて、公演するようになったんです。脚本や演出はもちろん、大道具や小道具そして衣装に至るまで、2人で作り上げるんです。
アーティストは、常にdestruction&creation
ーお二人の息がぴったり合うから、創作活動ができるんですね。
榊原:かゆいところにお互いの手が届く関係ですかね。家の建築に例えると『ベランダを設置する』って構想があったとするよね。二人で話し合いをする中で「どんなベランダを作りたいの?」と聞かれて、理想を伝えると「ああ、なるほど」って反応があって、イメージ通りのものが完成する。「そのベランダじゃないんだよ!」っていうものがない。だけど、作っている過程で「このベランダ、何か違うよね?」ってお互いに思ってしまう時もある。
ーそんな時はどうするのですか?
榊原:二人とも今までのモノを捨てて、一気に作り替える。それは舞台の制作も同じで、周りの人たちは「なんで?また作り直し?せっかくここまで作ったのに……」という反応をするんだけど、アーティストとして考えたら、常にdestruction&creationじゃないと、前に進めないからね。
ルールがあるから、個性が飛び出てくる
ー榊原さんのように、自信を持って前に進むためには、自分の強みや個性を知っている必要があると感じます。
榊原:今、個性を生かす教育って叫ばれているでしょ。でもね、あれをやると自分がわかんなくなっちゃう人もいるの。俺が高校に入った時は『パンタロン・アイパー・パンチパーマ禁止』って校則にあったの。DCブランドブームだったから、テーパードラインの裾が細いパンツが、はやっていて。だから「誰がパンタロン履くんだよ!!」と思うわけですよ。それとツーブロックもはやっていたから、アイパーもパンチパーマも、その頃にはほぼ絶滅状態(笑)結果、学校中おしゃれな不良ばかりになる。そしたら、校則が『極度の刈り上げ禁止』って変わって。でも規制があるから、ルールをすり抜けて、工夫しながら別のおしゃれを探し回ったし。ルールがあるから個性って飛び出てくるんだよね。
ー規制がある中で、自分らしさを見出していたんですね。
榊原:そう。規制の中で何ができるか、よく考える。自分を見つめる。だから俺は、ルールはある程度あったほうがいいと思う。不良とワルの違いってわかります?ワルって、貨幣でいったら偽札。不良は、穴の空いていない50円玉。使えないけどプレミアになったりする。世の中に馴染めないやつ。だから、アーティスト的なことをやると、明確に自分のやりたいことがわかっちゃうんですよね。役者って不良が多いんです(笑)
※撮影時のみマスクを外しております。
Profile
榊原利彦(さかきばらとしひこ)
1989年に演劇集団幕末塾の一員として芸能界デビュー。当時の芸名は咲輝であったが、その後、本名の榊原利彦として芸能活動。1993年NHK朝の連続テレビ小説『ええにょぼ』を始め、様々なドラマに多数出演。2006年から、劇団レッド・フェイス(現・THE REDFACE)を主宰。朗読劇「生きている小平次」をプロデュース。朗読劇「アクジョニツイテ」からは、プロデュース、出演、演出の三役をこなす。
ニコニコ動画「さかきばTV」
https://ch.nicovideo.jp/redface
榊原利彦オフィシャルブログ「天才の仕事」
https://ameblo.jp/sakaki-blog/
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公演スケジュール
活読劇「七慟伽藍(しちどうがらん)」
2021年6月4日(金)〜6日(日)
八千代市民会館小ホール
2021年7月17日(土)
朝倉市遺跡特設会場